X
よその顔との出会い

 多くの男の子にとって ”汽車・電車” は一度は夢中になるアイテムであることは今も昔も変わらない。
 私が鉄道車両の顔に興味を覚えたのは3、4歳の頃のことである。家の前には東横線が走っており、いつも電車は身近にあったが、走って来た電車の顔が好きなタイプかそうでないかが最大の感心事であった。
 昭和30年代初期であったが、鉄道会社が初めて電車を導入した時の一期生(木造、ダブルルーフ)がまだ生き残っていたり、戦争で疲弊した車両を修理したり、旧国鉄から払い下げられた車両を改造したり、その顔つきは大変バラエティに富んだ時代であった。同じ形式でも窓の寸法や雨樋の形状が異なっているのが普通であった。 そんな無骨で皺だらけの顔に混じって戦後になって製造された若々しい顔や、当時、全国的にブームとなった正面2枚窓のいわゆる湘南型が加わり、こうした形のバラエティさに私の幼い脳は大いに活性化されたようだ。 電車の車庫の端は大抵、道路や空き地に面していて、ずらりと並んだバラエティ豊かな顔を品定めするのが当時のとっておきの楽しみであった。
 地元の車両の顔が自分の脳にすべてファイルされてしまうのに大した時間はかからなかったが、ときどき親に連れられて実家を尋ねたり、春秋のお墓参りの機会は待ち遠しかった。いつも見慣れた東横線の顔を振り返りながら渋谷駅で国電山の手線や地下鉄銀座線、井の頭線、玉電に乗り換えると、普段見慣れていない顔に出会えるのが楽しみで、よその家の芝生は青く見えるという諺とうりである。いつもの東横線とは違ったその顔に浮気心が芽生えてしまうこともあった。家に帰ってくるなり、ちゃぶ台を拡げて画用紙に今見て来た"よその顔"を描いたものである。
 こういうことが積み重なって自分の好きなタイプが少しずつ先鋭化し、自分にとっての理想の顔というものが脳に根を降ろすことになる。
 そして "幼少時のお絵描き"、 これがこのサイトのルーツなのである。

エッセイ目次に戻る