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回想録 気動車編

 まだ気動車という言葉を知らなかった頃、小学校に上がる前に絵本で見た顔の中に、それほど美人ではないが、ちょっと惹かれる顔が当時のキハ26だった。いつも見慣れていた地元の東急東横線の顔はどれも窓と窓の間隔が詰まっていたが、このキハ26は窓の大きさが比較的小さく、高い位置にあるところに若干、難があったが、間隔も程よく離れているところに惹かれていた。幌座もアクセントになっていた。その絵本に乗っていたキハ26は「アルプス」と書かれたヘッドマークをつけており、どうも当時の中央線の準急を描いたものだったようである。
 小学校3年の夏休み、千葉の大東岬に海水浴に行った。千葉から外房線大東までの間は無電化区間で、気動車に初めて乗ったのがこのときであった。やってきたのは当時、全国津々浦々のローカル線に見られたキハ10系であった。じりじりと暑い夏の昼下がり、大東駅から千葉に向かう途中、大網駅でスイッチバックも初体験した。ただ、キハ10系の顔はキハ26に比べると窓が更に小さく、好みではなかった。
 中学に上がり、伊豆急訪問の際に東海道線の茅ヶ崎駅で見かける相模線のキハ10系や35系は好みの顔ではなかったが、このクリーム色と朱色を目にすると遠くへ来たと感じたものだ。
 高校2年の夏休み、八ヶ岳に行った折、小淵沢から乗った小海線のキハ52は勾配の連続と満員状態で、清里駅の手前でオーバーヒートしてスピードが極端に落ちてしまった。気動車はこんなこともあるのかと、おもしろい体験であった。
 帰途、小淵沢から新宿に向かって乗ったのは急行のキハ58で、ちょうどお盆休みで満員状態であった。キハ58が編成を組む際は、連結部分の運転室の貫通扉を折り畳んで進行方向右側半分が解放できるのだが、私は出っ張った運転室機器の上側にちょうど座れるスペースがあったので、そこに陣取った。ただ、位置が高く、頭が天井につかえるので新宿までずっと首を垂れていなければならなかった。しかも背中の壁は排気管が通っており、背中は汗びっしょりであった。若者の特権とは言え、よく我慢できたものであった。
 顔へのこだわりとは別に、山間を気動車が走るローカル線の風情にはとても惹かれていた。特に八高線はいつか全線しみじみ乗ってみたい路線であったが、なかなか実現できなかった。幸運にも実現できたのは電化直前の1994年のことであった。八王子駅から朱一色のキハ35に乗って高崎を目指した。”ドリドリドリ”というアイドリングの音、ディーゼルの排気ガスの匂い。背が低く陽炎のように波打つレール、上下によく跳ねる座席。どれも忘れがたい思い出である。

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