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回想録 機関車編

 多摩川の河川敷は子供の頃の遊び場であった。丸子橋の少し下流に貨物専用の品鶴線(現JR横須賀線)の鉄橋があり、遊び飽きて土手に立って待っていると貨物列車がひっきりなしにやってきた。昭和30年代はまだ鉄道による貨物輸送が主流で、2軸、4軸、有蓋車、無蓋車、タンク車、冷蔵車、長物車等、いろいろな貨車が通り過ぎてゆくのを飽きもせず眺めたものであった。レールのジョイントを通過する時の音が、現代の画一化されたコンテナ車の編成のようにリズミカルではなく、不規則なところも面白かった。 鉄橋の下で先頭の機関車が通過する時の音のリズムで機関車の形式を当てる遊びも友達同士でよくやった。品鶴線はEF13、EF15が多いので、”ダダダダ、ダダダダン”、たまにEF58が来ると”ダダダダダ、ダダダダダン”、EF60が来ると”ダダダダダダン”となる。これらの顔だが、どうも今ひとつであった。EF15は製造メーカーによって貫通扉の窓の形がいろいろあるのだが、どれも好みではなかった。流線型EF58も当時の子供達には一番人気であったが、やはり正面3枚窓が好きだった。
 私が”これだ”と思ったのは、EF10、EF11の第1次型やEF53、ED16という屋根の先端がひさしになっている一連の旧いタイプであった。これらは身近だった品鶴線や渋谷駅周辺では見かけたことが無かったが、小学校3年生のときに町田の叔母を訪ねて南武線に乗ったとき、ED16の引く石灰列車があることを知った。また、国立に引っ越した叔父を訪ねる際に、南武線の西国立駅に併設されていた立川機関区がED16の寝ぐらと知った。それ以来、私には南武線はがぜん重要な路線となった。高校2年の秋にカメラを持って立川機関区に見学に行き、心行くまでED16の顔を拝むことができた。
 その頃から奥多摩の山歩きをするようになり、青梅線を利用する機会が増えた。拝島駅の構内にかなり長い間、留置されていた2両のEF11の第1次型と会うのを楽しみにしていたし、山間を縫って、ゆっくり石灰列車を引くED16は、この奥多摩を安住の地と定めて余生を送る老人のようで好きだった。
 丸みのある車体が特徴のEF10の2次型やEF56は顔のカーブの具合が半流クモハ41とおなじくらいで好ましかった。しかしながら、これらは写真だけで、実物を見ることはついに出来なかった。

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