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回想録 関西私鉄編

 幼少時に東京で生まれ育った私にとって、関西の私鉄は絵本や図鑑の中だけでしか見た事がない未知の世界であった。 恐らく、生まれて初めての関西私鉄との出会いは小学校に上がる前で、絵本の中で見た朱色に白帯を締めた2両編成の電車であった。
 そのときは詳細なディティールは記憶にないのだが、それが昭和32年に登場した近鉄のラビットカーという6800系であったと判ったのは、小学校5年生の夏休みのことである。学校で理科工作クラブに入っており、何を作ろうか迷っていた時に友人が持っていた"模型と工作"という雑誌を見て、”そうか、こういう雑誌があるのか。これは為になるなあ。”と思って早速、本屋へ走った。そこに掲載されていたのがHOゲージの6800系の制作記であり、かつて絵本で見た朱色の電車の記憶が蘇ってきたのであった。
 惹かれる顔というのは異性への一目惚れと同じようなものだ。記事に添えられていた実車の写真を見て、早速作りたい気持ちが湧いてきた。どこに惹かれたのかと言えば、それは貫通幌である。なにやらたたみ方が雑で幌枠から昆布のようにヒラヒラとはみ出たその様が妙に心をくすぐった。後になって気がついたのだが、関西の私鉄はこのヒラヒラの幌を目にすることが多かった。今になって理由を想像してみると、関西私鉄は速度が速く、折り畳まれた幌が風圧に負けて外側へ膨らんではみ出てしまうのではないだろうか? 
 戦前は関東では国鉄(省線)を含めて貫通幌を装着していないのが普通であったが、関西は早くから乗客が車両間を移動するニーズを捉えて貫通幌を装着しており、やはり乗客へのサービス精神の違いであろうか? 
 さて、模型の方は残念ながら、作りたい気持ちに腕が付いて行かず、顔の部分の"お面"だけ作って未完成に終わった。しかしながら幌だけは熱中して作ったものである。

 次に私が”これだ”と思ったのは、小学校3年生の時に親に買ってもらった"交通の図鑑"の中に載っていた名鉄5500系であった。当時の私鉄の電車を紹介したページの中には、昭和20年代末から30年初期にかけて一斉に登場した一連のいわゆる高性能電車がたくさん描かれており、その中でも、パノラミックウィンドウで貫通扉の窓がすらりと細い姿が京王5000系似で良かった。
 小学校高学年になると、当時、友人の間で回し読みをした"私鉄電車ガイドブック"を見ていて、近鉄の修学旅行専用の20100系やスナックカーと呼ばれる12000系に惹かれた。20100系は運転席側の窓が小さく非対称だが、貫通扉の窓の天地が思いっきり長いところが気に入った。美人ではないがちょっと気になるお姉さんという感じだった。12000系は旧国鉄キハ82似で貫通扉の窓の幅がほどよかった。

 関西私鉄は残念ながらお気に入りの顔は少ないのだが、美人ではなくともどこか惹かれるひとりに京阪の2000、2200系が居る。貫通扉と運転席側の窓が昭和30年代当時に登場した高性能車がこぞって採用したHゴム支持なのに、運転席と反対側の窓が連結面に設置されるような開閉可能な二段窓である。
 車両前面は人間に喩えれば"顔"であるのだが、反対側の連結面は"お尻"と呼ぶには忍びない。連結面にも惹かれる"顔"があるのである。昭和30年代は現代のように固定編成は少なく、電車の車庫には連結面を丸出しにした車両がいくらでも居た。連結面は"お尻"と言うより、隠された”裏の顔”であり、私以外にも趣味の対象と感じておられる方はいらっしゃるのではないだろうか? この京阪2000、2200系は表の顔と裏の顔が同時に楽しめるという訳である。半獣半人のような怪しい魅力と言うべきか? そのような意味では、WCが先頭に設置されている近鉄2200系の片目も同類かもしれない。
 とにもかくにも関西私鉄の顔は"怪しい"というのが自分の印象であった。

”裏の顔”はこちらにも。

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