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回想録 東武編

 3、4歳の頃、東横線沿線に住んでいたので、東武や京成といった東京の城北地域の私鉄は未知の存在であった。最初の東武電車との出合いは、両親に連れられて鬼怒川・川治への温泉旅行であった。両親からロマンスカーで行くと聞かされていたのだが、残念なことに浅草駅で乗車したところまでは覚えているのだが、その直後に居眠りをしてしまい、その後の記憶がまったく無いのである。ロマンスカーなら時期的には1956年にデビューした1700系のはずだが、顔を拝んだ記憶が無い。
 次のチャンスは小学校に上がる前、雑司ヶ谷にお墓参りに行った折り、池袋駅近くの踏切りで幌が印象的で窓の配置が均整のとれた顔を見かけた。それはどうも東上線の7800系であったようだ。
 小学校3年の夏休み、近所の友達とその親に連れられて川に泳ぎに行ったときも東上線だった。この時乗ったのは恐らく3200系であろう。場所はどうも志木あたりだったようで、川といっても田圃の用水路で、地元の子供達といっしょになって泳いだ記憶は今だ鮮明である。現代のようなコンクリートの護岸もなく、水も清らかで、正に"田舎の小川"の風情であった。ただ、3200系の顔は窓の大きさ、配置が好みでは無かった。ベージュにオレンジという塗色も、夏のじりじりした暑さと一緒になって、けして爽やかとは言い難かった。
 小学校も高学年になった或日、東横線の駅で東武電車のポスターを見かけた。確か行楽急行の広告で、5700系を真正面から見た顔の写真が大きく載っていた。自分の好みにぴったりで、こんな"いい顔"があるのか?と惚れ惚れしたものである。そして当時の急行が締めていた青帯が印象的であった。
 小学校6年、夏の林間学校は日光であった。5700系に乗れないかと期待していたが、北千住から乗車した伊勢崎・日光線は林間学校用の臨時電車で、恐らく3210系であろう。日光駅までのおよそ2時間、すれ違がったり、車庫に佇む様々な東武電車を見ることが出来て楽しい思い出となった。
 中学生ともなると一人でカメラを持って、ただ写真を撮る為に電車に乗りに行くようになった。お目当ては1700系。当時の私鉄ガイドブックに載っていた写真では顔が良く見えず、この目で確かめてみたいという気持ちはつのるばかりであった。都内の公立学校が休みであった10月1日の都民の日を利用して日光を目指した。行きは6100系の快速に乗り、帰りは1700系が使われる特急(当時デラックスロマンスカーはD特急と呼ばれていた)を選んだ。日光駅には日光〜下今市間の特急連絡用の1710系2両編成が居り、心行くまで撮影ができた。
 その2両編成に乗って下今市で鬼怒川から来る本線特急に乗り換え、北千住を目指したのが夕方4時半頃。暫くして秋の陽はつるべ落とし。外は真っ暗であった。私は最後尾の車両であったが、乗客は私一人だけという貸し切り状態であった。
 私の頭の中では東武電車のイメージはなんといってもあの深々とした幌なのである。

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