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回想録 京王編

 春秋のお彼岸のお墓参りは世田谷の烏山だったので、渋谷駅から井の頭線に乗り、明大前で京王線に乗り換えて行くのが年中行事であった。昭和30年代当時はほかの私鉄と同じように、京王2700系や井の頭線1000系のような湘南顔がニューフェースであったが、あまり気がすすまなかった。やはり正面3枚窓の方が性に合っており、中でも古い2600系は気になる存在であった。真ん中の窓が細身でどこかお利口そうな表情だった。井の頭線も特に気に入った顔がなく、楽しみが少ない年中行事だったが、小学校2年生になった昭和38年に事態は一変した。
 祖母に連れられて春のお彼岸に明大前駅で待っていると、やってきたのは2600系ゆずりで貫通扉の窓がすらりと細く、左右の窓が側面まで回り込んだ5000系であった。その品が良くモダンな美しさに目が釘付けになってしまった。
 左右の窓と貫通扉の窓の離れ具合も申し分なかった。叔母の部屋に色々な能面のミニチュアが飾ってあり、どこか怖そうな表情の中にあって、白色で子供心にも美しいと感じたそのお面をすぐに思い浮かべた。それは小面であった。
 お墓参りなどどうでも良くなって一刻も早く家に帰りたくなってしまった。やっと家に帰って真っ先にやったことは、ちゃぶ台を広げてお絵描きである。今、まさにこの目に焼き付けてきた5000系の顔を記憶が薄れないうちに画用紙に書き留めなければならなかったのである。
 その後さらに驚いたのは、二次型の車両が登場した時である。「なんだか少し違う!」車両の全幅が100mm広がっていたのである。よく注意してみると貫通扉の窓の幅も僅かに広がっている。全体のバランスを考えて修正したようで、今考えてみても5000系の顔の創造主は、そうとうにこだわりを持っていたのだと伺える。
 5000系の時代は長く続いたが美人は突然変異だったようである。6000系には美人のDNAが上手く継承されなかったのは残念である。

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