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分析編
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  • 形態上の分類
  • 湘南属
  • 奥目属
  • パノラマ属
  • ウィンク属
  • 幌埋め込み属
  • 幌のある表情
  • Hゴムのある表情
  • 窓の位置
  • 美人の条件
  • 高鼻属

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    ●形態上の分類

     鉄道車両の顔を形態的に分類してみる。窓で7態、妻の形状で5態、雨樋の形状で3態に分類してみたが、それぞれの顔はこれらの組み合わせでできることになり、実に7×5×3=105種類ものバラエティーがあることになる。

    -正面窓7態-
    貫通扉付き3枚窓
    最もオーソドックスなタイプ。目鼻立ちは3枚の窓の幅をいくらにするかで大方決まってくるが、それも貫通扉の幅がキーポイント。この変型として左右の窓のサイズが非対象のものも含めた
    貫通扉無し3枚窓
    運転席の窓を広く取れば、必然的に真中の窓は狭くなってくる。このバランス感覚が目鼻立ちを決める。
    貫通扉無し3連窓
    単純に同寸法の窓を並べた悩みどころの無いタイプ。発想のルーツは運転席が中央だった路面電車か?
    貫通扉無し2枚窓
    単純に窓の縦横比をいくらにするかで顔立ちが決まる。
    5枚窓
    大正〜昭和初期に見られたモダニズム。建築美、様式美を感じさせる。貫通扉有り、無し両者が見られる。
    貫通扉無し4枚窓
    1930年代に流行した流線形から生まれた窓割り。
    貫通扉付き非対象窓
    広い視界と貫通(非常)扉の機能をドッキングしたタイプ。


    -妻5態-
    平妻
    最も手が掛からない醤油顔?。斜め前方から見るとカーブした屋根の線との取り合わせは視角的な錯角によって顔面が凹んだ様に見える。
    丸妻
    カーブのRをいくらにするかがエンジニアの悩みどころ。平妻が醤油顔ならこちらはソース顔?。窓ガラスは平面、曲面いずれも見られる。カーブした面に平面ガラスを組み合わせるには手間が掛かる。曲面ガラスはそうした面倒が無いが、ガラス自体の製造が難しくコストも掛かるので極少数派。
    3面構成
    平面構成に平面ガラスは無理が無い。
    2面構成
    2枚窓ならば真中で折って流線形にしたくなるのが自然の情?。
    流線形
    効能よりモダンさを重んじた旧き良き時代の産物.。平面ガラスとの組み合わせは独特の美しさを見せる。


    -正面雨樋3態-
    カーブタイプ
    丸妻によくマッチする。平妻にこのタイプを用いると視角上の錯角により顔面が凹んだ様に見える。
    直線タイプ
    手が掛からない実用一点張り。
    張り上げタイプ
    時代的には新しいが、はげ上がりに見える?。

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    ●湘南属

     1950年に登場した旧国鉄の80系2次型は傾斜した正面2枚窓で登場した。長距離用電車であることから固定編成を基本とする為、先頭車は貫通扉を必要としなかったこと、大形の一枚窓ガラスが供給され始めたことが2枚窓を生んだものと考えられる。このいわゆる湘南型の登場は当時非常に大きな影響力をおよぼし、ほとんどの私鉄に類似の車両が生まれた。中には軽便鉄道、森林鉄道用のディーゼル機関車にも見られたほどである。ただ、当時の私鉄はまだ固定編成は珍しく、貫通扉が無いことは車両編成上、不便であったことから後に貫通扉付3枚窓に改造された車両も見られた。
    形態的には下図のTYPE A~Dの4種類に分類できる。

  • TYPE Aは元祖オリジナルの80系のように上半分を傾斜させて流線形とした為に
     正面から見ると2枚の窓は”垂れ目”となっているタイプ。
  • TYPE Bは流線形ながらも窓は水平なタイプ。
  • TYPE Cは下から上まで一直線に傾斜したタイプ。
  • TYPE Dは 傾斜のないタイプ

    TYPE A~Cらはいずれも板ガラスは平行四辺形となり、長方形のガラス材から無駄な端材が出てしまうことになる。
    TYPE Dは長方形の板ガラスをそのまま使用できるので設計エンジニアの悩み処であったと推測される。こうした設計エンジニア の苦労とは裏腹に運転士と背後の鉄道少年の評判は上々であったと思われる。
  • TYPE A

    TYPE B

    TYPE C

    TYPE D

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    ●奥目属

     全面の窓のみを傾斜させたタイプで、陽よけの効果を狙ったようだが効果は見た目ほどでは無いようである。貫通扉付のもので意匠を凝らしたものも登場した。このタイプは制作工数はかかるが、それを克服すべく繊維強化樹脂(FRP)で一体に成型したタイプも見られる。旧国鉄EH10や近鉄800系のタイプは同時代のバスにも見られたが、どちらが元祖かは定かではない。

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    ●パノラマ属

     流線形を除く車両で左右の窓のコーナーを側面まで廻り込ませたいわゆるパノラミックウィンドウ。日本の鉄道車両界で初めて登場したのは1958年に登場した旧国鉄153系である。 モダンな感じで視界を拡げる目的であることは一目瞭然だが、視界と言っても側方視界をできるだけ確保したい自動車とは事情が異なる。鉄道車両は障害物が視界に入ってからブレーキを掛けてもまったく間に合わない。従ってその効果は運転士にとっての開放感であり、人間工学的な配慮と見るべきであろう。旧国鉄153系のように長距離で乗務しなければならない運転士にとっては有り難いものであろう。 曲面ガラスのコストは高くなるが、名鉄5200系、キハ8000や旧国鉄EF63は平面ガラス構成としている。

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    ●ウィンク属

     運転席と反対側の窓が桟で上下2分割となっているタイプ。
    鉄道車輛の創世期は正面の窓は開閉式で1枚窓が下降するタイプが一般的であった。初期は運転室が進行方向左片隅にある例が多く、夏場にこの窓を開けると走行風が直接客室に導かれ、子供達には大人気であるが、女性は乱れ髪となってこの付近に乗車するのはためらわれたのではないだろうか?
    上下2分割の窓は最初、車体側面に採用され、同じものが車輛前面に登場したのは1934年の旧国鉄モハ40あたりであろうか。 なぜ上下2分割式が採用されたのであろうか?当時の設計エンジニアに理由を聞く術はないが、以下の様に推測してみた。
    初期の下降式1枚窓はその構造上、開けるには一回、上方に持ち上げないと降りないなど、多少のコツがいるので未経験者には開け方が分りにくい。
    気をつけないと窓を下降させるときに他人の指を挟む可能性がある。
    全開させると子供などが転落する恐れがある。
    これに対し上下2分割式は操作が簡便で全開しないが転落の危険は無いこと、半開ができること等が採用された理由であろうか?
    さて、運転室が進行方向左片隅にあった時代は、乗客は自由に窓を開閉することができたが、全室式の運転室が登場してからは、この窓は乗務員しか操作ができなくなってしまった。そして運転室と客室がガラスで仕切られると、窓を開けても客室には風が抜けないので運転室内のみの換気効果だけになってしまった。そして窓の固定にHゴムが使われるようになると、前面ガラスは全てはめ殺しとなり現代に至っている。 なお、京阪電鉄のように運転席側はHゴムのはめ殺し、反対側の窓のみ上下2分割式を採用したタイプも見られた。

    -ある夏の表情-

    下降式1枚窓 上下2分割式


    -開閉方法-

    下降式1枚窓 上下2分割式


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    ●幌埋め込み属

     貫通扉を一段奥に設け、幌を埋め込んだタイプ。工数はかかるが、見た目のスッキリさを狙ったものと伺える。ただ、貫通扉が奥にあるため、斜め前から見た時の顔付は好みの別れるところであろうか?旧国鉄キハ82は貫通扉は左右の窓とツライチで幌のみを埋め込んだタイプであり、設計エンジニアのこだわりが伺える。

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    ●幌のある表情

     貫通幌は顔つきにアクセントを与える。鉄道愛好家の中にも幌好き、幌嫌いは居られるようだ。しかしながら、車両に幌を装着するか否かはその鉄道会社のポリシーであり、設計エンジニアが立ち入れる余地はない。 戦前は貫通幌の装着は各社各様で、旧国鉄でも関東は幌無し、関西は幌付きであった。1951年に旧国鉄で起きた桜木町事件での車両火災を契機に、緊急時に乗客が隣の車両に移動することを想定して貫通幌の装着が急速に広まった。当時は現代のような固定編成ではなく編成中間に運転台を持った車両が来ることは珍しくなかったので、先頭車にも貫通幌を装着するようになった。
    さて、見回してみると、古くから一貫して先頭車に貫通幌を装着している東武、その逆に装着していない小田急。両者は相反するポリシーの基、車両を送りだして来た。 ここでは、もし、両者のポリシーが逆だったら?という想定で東武からは幌を外し、小田急には幌を取り付けてみた。 幌は人間の顔で言えば髭のようなものでしょうか?

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    ●Hゴムのある表情

     鉄道車両に限らず、自動車や建築物の窓の固定方法に画期的な方法が現れたのは、正確な記録はないが写真から推測すると1953年頃のことである。 Hゴム支持と呼ばれるこの方式は、それまでの窓固定方式をあっという間に駆逐してしまった。それまでの鉄道車両前面の窓固定方式は、電車・気動車・客車では窓ガラスを木製の枠で支え、開閉可能とするのが一般的であった。機関車ではガラスを鉄製の枠で支え、はめ殺しとするのが一般的であった。 これら旧式の固定方式は以下のような欠点があった。

    1.気密性が乏しい為、雨漏りし、窓枠の腐食により寿命が短かった。
    2.木製であれ鉄製であれ枠の制作コストがかかった。

    Hゴムはこうした欠点を改善すべく生まれたもので、以下のような特質がある。

    1.ゴムの伸縮性により気密性が高い。
    2.製造コストが安い。
    3.枠が不要である。
    4.装着が容易である。細ひもが一本あれば良い。
    5.彩色が可能である。
    6.開閉は不可能である。

    Hゴムの登場は当時のゴムや合成樹脂といった化学工業の発展が契機になってる。金属のバケツがポリバケツになり、ビニール雨傘が登場した時代である。
    さて、鉄道車両の顔は、このHゴムの登場により大きく様変わりした。Hゴムは角が丸くなっているので、それまで角が直角だった旧式車両がしかめっ面だったのに対し、顔つきはみな柔和になったことである。 旧式車両も一斉にHゴム支持に改造されたが、ここは好みの別れ所である。大量生産によるコスト低減を狙ってHゴムも窓ガラスも寸法が規格化されたり、他形式車の窓ガラスを流用したことから、ほとんどが体裁は無視され奇形な顔になってしまった。


    -Hゴムの構造-

    断面形状をご覧いただければ単純明快である。断面がH型をしているのでこう呼ばれるようになった。


    -Hゴムの色-

     登場した当時は黒色だったが、ゴム材に色素材を混入することができたので次第にいろいろな色が登場した。 旧国鉄のぶどう色に灰色のHゴムはよく映えた。ライトブルーは伊豆急100系、クリーム色は京王2000系や5000系で採用された。しかし1970年代末頃から黒色が再び主流になってきている。濃い塗色に黒いHゴムは映えないが、明るい塗色に黒いHゴムも目鼻立ちがくっきりしてよろしいのではないだろうか?この時代は自動車もサッシを黒く塗装することが流行り、鉄道車両界にもこうした影響が現れたのではないだろうか?

    濃い塗色に黒色Hゴム 濃い塗色に灰色Hゴム クリーム色のHゴム 明るい塗色に黒色Hゴム

    -もしHゴム支持だったら?-

     ところで、旧式車両の更新工事に際し、車両前面にHゴムを採用しなかったのが東急である。東急はHゴムの代わりに従来の木枠をアルミサッシ枠とすることで腐食の問題を回避したのである。しかしながら、雨漏りの問題は直らず、雨の日は運転手が新聞紙を窓枠の隙間に挟み込む姿を度々見かけたものである。 ここでは、もし東急が旧式車両の更新工事に際し、Hゴムを採用していたら?という想定でHゴム顔を描いてみた。

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    ●窓の位置

     正面窓の高さ方向の位置はどのように決まったのであろうか?乗客が腰掛けた状態を想定して側面の窓の位置が決まる。その位置に揃えるというのが素直であろうか? 1960年に登場した旧国鉄153系500番台はそれまでの車両より運転席を300mm高くしている。これは当時の資料によると踏切事故に備えた安全上の対策とある。 1960年頃は高度成長期が始まったころで、トラック輸送も活発になるに伴い大形化し、踏切での大形トラックとの衝突は運転席に大きな被害が出ることが問題視されたようである。こうした高運転台化は私鉄でも採用されるケースが見られたが、旧国鉄ほどではなかったようである。これは、障害物を発見してから非常ブレーキをかけて停止するまでの距離が 長編成で高速で走行するほど長く、不利になることから旧国鉄の方が積極的だったのではないかと考えられる。
    1960年頃の大形トラックの大きさがわかるように、顔のイラストに入れてみた。153系500番台はジャスト!運転台の窓はトラックの屋根から上に位置するではないか!。当時のエンジニアは大形トラックの寸法を調べる為に自動車メーカーからトラックのカタログを取り寄せたのだろうか?

    -高運族-

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    ●美人の条件

     美人の条件について考察してみた。独断と偏見についてはお許し願いたい。

    美人の条件:
    1.窓の位置が見た目に心地よいこと。
    2.それぞれの窓の巾と各々の間隔が見た目に心地よいこと。
    3.それぞれの窓の天地寸法が揃っていること。
    4.必用な装置機器の配置が見た目に心地よいこと。

     これらは美意識の問題と言っても良いと思うが、それに水をさす拮抗要因があったと思われる。 設計の定石からすれば寸法は揃えた方が、窓ガラス材や製作する際の治具にしても有効に活用出来てコスト的にも有利な事は間違いない。 しかし、顔を描き出してまじまじといろいろな車輛の写真を眺めてくると、例えば窓の天地寸法が揃っている例は少なかった。 どのような理由で揃わなかったのか? 以下は昭和某年、某月の○×鉄道の車輛設計課のエンジニアA氏のある日を想像してみた。

     A氏は窓の天地寸法を揃えて設計したつもりだったが、製造を請け負った△◇車輛の車体設計課のエンジニアB氏から電話をもらった。
    「御社設計の貫通扉の窓なんですが、実は最近弊社で規格化致しました貫通扉の窓と構造、寸法が大差がありません。こちらを流用されるとコストがお安くなりますが、いかが致しましょうか?」

     車輛製造は企業であり、部品の共通化は採算性を図る上で常道である。 またこれはあくまでも推測だが、車輛製造業界内でも共通の規格をつくりあげる動きもあったのではないだろうか?
    さて、そのときエンジニアのA氏はどうしただろうか? もし彼が美意識を貫き通さんとするならば流用する部品や規格に合わせて他の窓寸法を揃え直したかもしれない。 もし彼がそれほど美意識にこだわらぬか、締めきりに追われていたならば不揃いには目をつぶったかもしれない。 エンジニアは車体だけでも車輛の外観を示す図面の他、窓枠や扉の図面、梁や桁の図面等、膨大な数の図面を自ら、または図面専門職の手を借りて揃えなければならない。 "なるべく楽をしたい。使えるものはなるべく流用したい。"というのはエンジニアの自然な心理ではないだろうか。

     旧い時代というのは規格というものもまだ整備されておらず、共通化というお題目もあまりうるさくなく、発注する鉄道会社の独自性やエンジニアの美意識は通り易かったのではないだろうか? そうした美意識が通った時代の車輛に、私を含め大方の諸兄は惹かれるのではないだろうか? 現代では、車輛の外観、特に顔はエンジニアからインダストリアルデザイナーの手に委ねられるようになったが、そうした美意識と共通化や規格とのせめぎ合いは変わらないと思われる。勢いコスト、効率を優先して没個性化の道を辿るのは鉄道車輛だけではないようである。 ただ巷には、美意識を感じ取る精神的な余裕が戻りつつある気配を感じる。歩みは遅いものの文化が成熟してきた兆しと考えたいものである。

    -ある車輛設計課エンジニアの悩み-

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    ●高鼻属

     貫通扉の窓の天地寸法が左右両側の窓のそれより大きいタイプ。

    このタイプは先天性と後天性に分類してみた。

    ・先天性:
    このタイプは最初の設計段階で意図をもって天地寸法を揃えなかったものである。その意図を下記のように推測してみた、
    1.左右両側の窓の天地寸法を車両側面の窓に揃えた場合、貫通扉の窓がこれと同一天地寸法であると、立った乗務員(車掌や運転実習の教官が立つ場合など)にとっては上方視野が遮られるので上辺を高くした。
    2.左右両側の窓は運転士が座った状態であるから上方からの日光の直射を避けるために上辺の寸法はむやみに高くしなかった。

    先天性の中でも、京阪881の貫通扉は意匠的に極大な窓を配した例で、ガラス越しに見える手すりと相まって”喫茶店”なるあだ名はうなずける。

    ・後天性:
    このタイプは改造や更新の際の諸事情で発生してしまったものである。その事情を下記のように推測してみた、
    1.規格化された鋼板プレス製のHゴム支持窓ガラス付き貫通扉を採用した。
    2.貫通扉は手をつけずに、左右両側の窓をHゴム支持化する際に、他車両の窓を流用したり、高運転台化を図った。

    後天性の中でも、京急1000は初期は天地寸法が揃っていたが、改造により左右両窓の上に行き先表示と列車番号表示の窓を独立して配置したために揃わなくなった例である。逆に京急700も初期は天地寸法が揃っていたが、やはり立った乗務員から上方視野が遮られるとの不満が寄せられたのではないだろうか? 

    -先天性-

    -後天性-

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    非常口

    Illustration by Isogawa,Shin-ichi
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